![]() 神様は植物にも愛をこめて名前をつけ、目にする人々を慰め、希望を与えて下さいます。 闇は光に勝つことはなく、光は神の栄光で満たされています。 世界の人々にひまわりの元気を!平安が訪れますように!・・・ハレルヤ! |
|
暗中模索の中で私たちは、ウェスレーの聖会に導かれ、
ウェスレーの信仰にもう一度、立ち帰ることができました。 この喜びは、今日までの歩みの中で、 私たちは何一つも無駄のない道であったことを示され、 又一歩これからも主によって生かされた生涯を, 歩み続けることができますように、鶴橋新生キリスト教会の行く末も 主にすべてをお委ねして参りたいと願っております。 エゼキエル書、36章、26節、 『わたしは新しい心をあなたがたに与え、 新しい霊をあなたがたの内に授け、 あなたがたの肉から、 石の心を除いて、 肉の心を与える。』 詩篇78篇23節・24節 『神は海を分けて彼らを通らせ、 水を立たせて山のようにされた。 昼は雲をもって彼らを導き、 夜は、よもすがら火の光をもって彼らを導かれた』 |
|
それからの10年余りは私にとって、伝道の道も閉ざされ、主に祈ることも出来ず。
暗闇の毎日の中から立ち上がることも出来ませんでした。 そのような時期に、妻が私に告げず、近くの教会の聖日礼拝(イースターだった)に出かけておりました。 私は後から妻に聞かされ、(このままではいけない)と主の前に示されました。 それからは大阪市内のあちらこちらの教会を捜しては二人で礼拝に出かけるようになりました。 又鶴橋近辺にある殆どの韓国の教会も行きました。 しかし私が思っているような霊的な教会は一つもなく、そこには主の臨在もなく、聖霊の満たしすら感じませんでした。 どの教会も律法的な冷たい空気を感じ、何と情けないことに、人間が神様を支配しており、 それは正に会社組織の教会ばかりを目にいたしました。 イエス・キリストの心を心としない、主の御言葉にある『あなたがたは御霊で始めたのに、肉で仕上げるのか』と言われたそのままが現在の教会に見られた証でした。 つづく |
|
昭和48年3月、私は単立で鶴橋新生福音教会を起こし、開拓伝道を始めました。
それから私は牧会者として22年間、妻と共に歩んできました。 私は伝道の道しか知らない男でした。教会は誰にでも親切で、 イエス・キリストに出会えば、どんな人でも変わることを信じ、内住のキリストを教え、 (悔い改めた人は何としても助けたい)(信仰に導きたい)と無理な保証人になって 重荷を負うことで、その苦しみが後々までずっと借財として負われることとなりました。 人にだまされたと解かってもそれが伝道者の道であると思い、 妻にも「忍耐しろ」と説得し、やがては十字架をおろす結果にまでなってしまいました。 平成7年まで伝道できたことはすべて主の御恵みでありました。 つづく |
|
出所した私は、このままでは納得できないと思い、訴えられた3人の人を尋ねて会いました。
そこで3人に聞くと 「私たちは訴えてはおりません。警察が来て認印を押さされただけです」と言われ、 又会計の人にも会いました。 「私は警察に言われたとおり、認印を押しただけです」私は更に心が傷つけられた思いでした。 それから数ヵ月後、1人目は勤めていたごみ処理工場のベルトコンベアーに巻き込まれて、亡くなりました。2人目は踏み切りの赤信号を渡り、汽車に跳ねられて死にました。 3人目はうつ病になって亡くなりました。 それから私は情島で、あの苦しい海の中で恐ろしい目に何度も遭っていた頃に、瀬戸内海で船泥棒だった人が今はクリスチャンになって大阪の地でクリーニング屋をしていると聞き、大阪の八尾に住んでいるその人を頼ってみましたが、すぐにアパートを借り、職安の紹介でクーラーや車に使う計器を作る会社に働くことになりました。 同じ職場の人たちに私の「証」をテープに吹き込み、昼休みになると、そのテープを聞いてもらって毎日のように、社内で伝道をしておりました。 その中にいつも皆から離れて一人でいる人が私は大変気になっておりました。 その人は聴覚障害者で社長の叔父さんでした。私はその人に手話の真似ごとをしながら、伝道し始めました。 しばらく経ったある日、その人が「私の娘も教会へ行っている」と教えてくれました。 昭和47年10月15日(日)、私はその教会を訪ねました。始めて彼女と出会ったその時、「この女性をお前の生涯の助け人としなさい」と言われたように感じました。彼女も驚いていましたが、以前ある聖会で彼女も主から示されていたことを思い出し、主の御心と受けてくれました。 そして、同年11月5日に婚約式、そして同年12月10日、八尾栄光教会で結婚式を行い、八尾でアパートを借りて3ヶ月ほど過ごした後、妻の実家の鶴橋に帰ることになりました。 つづく |
